6月の話「前の会社の話」

2019年1月に辞めた会社の話でもします。

約5年間勤めていました。業種としては工業系で、自動車産業に関わっていました。工場と本社が別のところにあって違う仕事をしている会社の、わたしは本社の部署にいました。そこは規模が超小さい商社みたいな感じで、色々なこまごまとした商品を扱っています。
入社したての頃、倉庫の配置には全く慣れませんでした。そうなのです、出荷も自分たちでやるのです。小さい会社なので倉庫を委託することも出来ず、自社にめちゃくちゃ在庫を持っています。

一日の流れとしては、午前中に入荷検品・見積回答・午後一の引き取り分の注文書処理(商品準備、納品書発行、納期回答)をして、午後に見積回答・夕方に行う当日出荷分の処理(商品準備、納品書発行、納期回答)をしつつ、合間にめちゃくちゃかかってくる電話の対応をする、というものでした。これをだいたい一人でやっていました。

アホかと思います。今も現役でその会社で働いている人もいますし、似たような境遇で働いている方がいるというのも重々承知ですが、こんなんアホの経営者・上司の所業です。何が少数精鋭だ。ただの人手不足です。

なぜ人手不足なのかって経営者や上司の怠慢と、その状況で頑張ってしまった我々が悪いのです。わたしだって本当は頑張りたくなかったけど、頑張らざるを得ない状況になってしまったのです。やらないと一日の最後の出荷に間に合わない。ヤ〇トの営業所(近所にあった)に持ち込んででも、きちんとやり通さなければならない。まあそれも今思えば、間に合わなければよかったんでしょうけど。

働いて4年くらい経った時、わたし以外の先輩が誰もいなくなってしまって、頼れるのは自分だけになってしまったのが、「わたしが頑張ってしまった理由」です。自分より後に入ってきた同僚のことも守ってあげたかった。そして同時にそれが辞める理由にもなりました。

3人いた先輩が辞めた理由は共通の内容です。上司のいびりがひどい。

上司は、頑張っている人のことをいびるのが趣味みたいな最悪な人で、お客さんや社長に対する外面だけはすごくいいのに、女性社員に対する態度がクソほど最悪でした。舐めてんのか貴様って感じですけど、実際舐められていました。あとスーパーウルトラ気分屋なので、日によっては女性社員にもすごく優しくなる時がある。

それでも、事務の女性社員のトップ(先輩たちや、当時のわたし)にだけはずっと冷たく接してきて、まるで「しごくことでこいつは成長するんだ」と思われているようでした。でも少なくとも3人それで辞めてるんだから、わたしの時にはいい加減に気が付いてほしかった。今時それで伸びる人間は少ないということに。そしてあなたのそれは、完全に「いじめ」でしかなかったことに。

無視される、えこひいきをされる、同じ空間にいるのにいないものとして扱われる、でもこちらは話しかけないといけない(上司なので指示を仰がないといけない)、その応対が「じゃあ俺がやっておくから」で一蹴される(お前がやるなら最初からそう言え!!!)。
なんでいい歳こいた大人が、そんなことで悩まないといけないのか。時には倉庫でこっそり泣きました。そもそもなんでいい歳こいたおっさんが、部下に対してそんなことをやっているのか!!! アホじゃないかと思います。たぶん今も気づいてないんでしょうね、あのクソ上司は。風の便りで聞きましたが、このコロナ騒動でもいろいろ好き勝手やっているようです。

話を戻します。
2018年の天皇誕生日の日、土曜日で、かつ祝日にもかかわらずその会社は出勤日になっており(年間休日もめちゃ少ない会社だったな、そういえば)、有休を使い果たしていたわたしはおとなしく働いていました。病気をしたことで有休が消えてなくなっていたのです。
その日は社長面談が設定されており、言うならこの日しかねぇなと思っていたので「さ、天津飯さんは何か言いたいことある?」と聞かれた瞬間に「あの人ともう一緒に働きたくないので辞めたいです」と伝えたのでした。世間話を想像していたであろう社長は面食らっていましたが、訥々といかに上司がクソ野郎なのか、先輩たちが辞めた理由も確実にクソ野郎のせいであり、このままでは女性社員全員が病んでしまうということまで話した気がします。

わたしの必死の説明で、週明けの月曜日、つまりクリスマスには退職届を出していいという話になりました。呆気ないことに、引き留めもされませんでした。気持ちの固さが伝わったのでしょう。クソ上司には社長から話がいくようで、ありのままを伝えるのはわたしが消えた後にしてほしいとだけお願いしました。

そしてクリスマス。社長にプレゼント代わりに退職届を渡し、クソ上司(実は遠隔地にいる)からも電話で「辞めんの?」と聞かれたので「ハイ」と答え、見事年明けの退職日も確定したのでありました。ちゃんちゃん。

もちろん辞めるまでも散々いびられましたし(あの野郎「辞める人は何するか分からないから監視しといて」とか言う野郎なんですよ。何もしねぇよ今更……とあきれるばかりです)、同僚の方々からは憎むような惜しむような声で「やめちゃうの?」と聞かれましたが、もう一刻も早く退散したくてたまらなかったので「逃げるみたいでごめんなさい!あとはよろしく!」とやるべき引き継ぎだけして、わたしはあの薄暗い会社から去ったのでした。

頑張ることに疲れたわたしは一か月ほどニートを楽しんだ後に再就職を果たし、そして今基本的には頑張らないで働くことに成功しています。前の会社と比べると規模がびっくりするほど違うので、分担が事細かにされているのです。前の会社でやっていたことと照らし合わせれば、今わたしがやるのは納期回答だけですね。なんてこった。

もちろん今の仕事にも大満足!とは言い切れないですが、前の会社に比べたら好立地に好条件で働けています。今現在もテレワークを推奨していますしね。果たして今後週五できちんと出社できるのかがとても不安です。

だからもう、こりゃ無理だとなったら辞めればいいんだなと思っています。このご時世に転職回数を気にする会社は大きな企業だけでしょうし、中小企業なら潜り込めるんじゃないかと思います。今のところはこの状況が落ち着くまで転職はしないつもりですが、そのうちするだろうなーと思っています。

今でもクソ上司の家の庭にドクダミの種(種なのかな?)を撒いてやりたい気持ちは捨てていませんが、とりあえずこんな風に文章にすることで気持ちを落ち着かせてやろうと思います。クソ上司のもとで働くすべての人よ、頑張らないでいいのですよ……

1月の話「料理」

ひと月に一回はブログの更新がしたいと言った初月くらいはちゃんとやらねば。
とはいえ何について話そうかなと考えて、趣味的に今の旬としては同時デビューの話がいいんだろうと思うのですが、完全に外野なのでやめておきます。ライバル関係として良い共存を目指していってほしいなぁと思います。

ということで今回は、なぜか突然ハマった料理の話をします。

きっかけは会社に持って行くためのお弁当作りでした。
昨年春に転職した会社では、お弁当持参でランチタイムを過ごしている人が多く、お金もないしわたしも何か持って行こうと思って、最初は冷凍食品ばかりのお弁当を持って行っていました。自然解凍ありがとう、役立っています。

それがいつしか「ゆで卵なら作れるだろ」になり、「それなら味玉の方が楽しくない?」になって、「おかずも作れるかもしれない」となっていきました。

我が家の料理は母が一手に担当してくれていて、台所が、というか家が狭いこともあって、恥ずかしながらまともに手伝いもしたことがありませんでした。
そのためおかず作成にあたっては「〇〇っていうレシピならわたしにも出来るかな」とか「〇〇ってレンチンで出来るんだって~」と母に相談というか、ジャブをたくさん打って「まぁできるんじゃない」という一言をもらってから手を付けました。
普段やらないことを突然家族の前でやりだすのが恥ずかしいタイプです。布石はたくさんあっても悪くないよねってことで。

最初にやったのは、鶏ハム、ピーマンのナムルっぽいもの、味玉、はんぺんのチーズ挟み焼きでした。

極力、包丁や火を使わないようにした結果がこのメニューでした。レンチンとかトースターでどうにかなるので。
レシピはネットで探しました。はんぺんのやつは適当だけど、ピザ用チーズ入れておけばなんとかなると思った。そしてなんとかなった。

そしてこれはわたしにとっての「成功体験」でした。

今思うと本当に簡単なメニューだと思うのですが、これだけのものを自分一人だけで作れたことがすごく嬉しかったんです。しかもそれをお弁当にして毎日持って行けることも、なんだか自分が誇らしく思えました。誰かに見せるわけでもないけど、もし誰かに突っ込まれても「これ自分で作ったんですよ~」って言えるのが嬉しかった。

ここから少しずつ進歩していって、肉や魚を切るために包丁をもう少し使うようになったり、煮込んだり焼いたりするためにフライパンを使うようになりました。
今日は春巻きを作って、はじめて家族の夕食用としてわたしの料理がテーブルに並びました。美味しいと言ってくれてよかった、安心しました。
たぶん今の自分の限界が春巻きです。好きだから作れるようになりたかったんです。

今もお弁当用の作り置きをおおよそ毎週末作っています。先週は土日とも出かける用事があったので作らなかったのですが、それだけで週末のストレスが半端なかったです。
それで自分の体というか、思考が作り替えられたんだなと実感しました。わたし料理好きだわ、趣味だわって思えました。春巻き、中の具材を作っている最中に微妙に失敗しかけたんですけど、その最中すら楽しかった。

次の月曜日からの分は日曜日に作ります。何を作るかは決めてないですが、適当に肉は買っておきました。やっぱり肉が入っているとテンションが上がるので。

Twitterでは週末のたびに作り置きの写真をアップしています。見てくださっている方、ありがとうございます。やはり誰かに見られることや、「いいね」をしてもらえると嬉しくて励みになります。
わたしは料理上手では決してありません(レシピを見ないと作れないので)。でも楽しいなーと思って作れているうちは、作ったものをTwitterに載せていこうと思います。もしよかったら見てみてね。

以上、誤字脱字あったらごめんなさい。また来月、何かを書くはずです。

 

 

拝啓、自担様

あなた、わたしのTwitter見てますか?

 

すっかりジャニオタアカウントと化したわたしです。もともとジャニオタなので仕方がない上に、とくに喪女であることを悲しんでもないし婚活も全くしてないので……そういう方面でフォローしていただいている方には近頃の傾向は申し訳ない限りです。

タイトルから分かる通り、今回のブログもジャニーズです。すみません。子宮内膜症はですね、とりあえず今のところは薬が合っているのか不正出血もなく元気に過ごしています。強いて何かあげるとしたら、たぶん薬の副作用で太っているんだと思い込んでいます。

 

自担、もとい福田悠太くんが所属するグループ「ふぉ~ゆ~」は2019年12月8日現在でめっちゃくちゃに忙しいジャニーズグループの一つです。12月はだいたいどこのグループ、タレントも年末年始の特番やら雑誌取材やらで忙しいと思うのですが、彼らは現場*1が続きまくっていて忙しいのです。スケジュールはジャニーズネットをご覧ください。

つい先日まで開催されていたのが、彼ら初となるコンサート「Winter Paradise ~冬パラ~」でした。全グループ、タレント終了お疲れさまでした。今回はそのコンサートの話を書きます。オチを決めていないので長くなったらすみません。

2015年のジャニーズ銀座のことをコンサートだと思っていたので、今になって初めてのコンサート*2と銘打たれるとかなり気合が入りました。あっ、わたしのです。気合が入りすぎて「お前はこれから結婚式の二次会に出るのか?」みたいな服を買ってしまったり、同じ顔(もちろん福田くんです)のうちわばかりたくさん買ったりしたのですが、まあそれはご愛嬌ということで。

うちわ。そうです初めての個人うちわが出たのですが、今回はそっちじゃなくてファンが勝手に作る名前うちわやファンサうちわの話がしたいんです。

ふぉ~ゆ~は舞台にばっかり出ていて、コンサートといえばKinKi Kidsのバックにつくとか、カウコンに出るくらいしかありません。なのでファンもうちわを持ち慣れていなければ、彼ら自身も見慣れない光景だったのだと思います。初めの方の公演に入った時の、なんとも言えない互いのぎこちなさが今となっては愛しいです。そう、でもそれは「今となっては」思えることなのです。

当時のわたしは、病み倒したのです。は? 何語? って思いますけど、とりあえずこう言わせてください。要はめっちゃ病んでたんです。

コンサートが開催された東京グローブ座はキャパが少ないこともあって、ステージ上からも客席が見やすいのだろうと思える構造をしています。段差も多いし、1階の段差以降のよっぽど上手や下手に入らなければステージが見やすかったです。
またありがたいことに自チケを含め、誘ってもらったり交換してもらったチケットがどれも良席でした(が、わたしの良席の基準はすごく低いのであてにしないでしないでください。でも2回は誰もが良席と言ってくれるだろう席でした)。

そう、うちわが見えるだろう席ばかりだったのです。それなのに、わたしは完全に自担に干されていました。

どーーーーーーーーうしても羞恥心が邪魔して分かりやすいファンサうちわは持てませんでした。これは反省点です。作ろうと考えてみても、「はて……? わたしは何をしてもらいたいのか……?」と考えこんだら最後、何も答えが見つからなかったのもあるんですけど。あわよくば他の3人に、とかも全く思いませんでした。自担至上主義でごめんなぁ……コンサート楽しかったから今は4人丸ごと好きな時期だよ……

でも顔うちわと名前うちわはずっと持っていました。片手にずーっと緑(福田くんのメンカラ)のペンラ2本と、もう片方にうちわ2枚を持っていたんです。もちろんどっちも基本的には胸の高さですよ。途中から名前うちわは可愛いやつにバージョンアップしたし、ファンサうちわじゃなくても構ってたってレポも見ました。あとわたしコンサートをめちゃくちゃ楽しんでたと思う。いや競うつもりはないけど、少なくとも地蔵ではなかった。

ていうかずーーーーーーーーっと福田くんしか見てないんだから分かるだろ。近いお立ち台に誰かがいても、遠くにいる自担を見るタイプだからマジで本当にステージや客席にいる限りはずっと見てた。視線は感じるでしょ、感じててよ。ちょっとくらいさぁ……こっちをさぁ……お立ち台に上がった時も他担じゃなくて……己のファンを……ねえ……近くにいるよ……もしかして……見えてない……?

っていうのを数回続けてたら見事に病みました。ファン辞めた方がいいかなって思うくらい、そっちのほうが福田くんも喜ぶんじゃないかなって考えるくらい病みました。今思うと本当に謎思考。福田くんがどう考えてるとか知らんがな。

顔が好みじゃないんだなぁとか、デブが嫌いなんだろうなぁとか(嫌いだろうなー!)、最終的には「あの女*3の顔になればいいんだろうか……」とか考えた挙句、コンサートに向かうべく家を出る前わたしは母に「ねえ、今日のわたしって可愛いかな?」とか聞いてしまうこともありました。答えに戸惑わせてごめん母。30過ぎた娘が聞くことじゃなかったと今は反省しています。

で、病んでた時にTwitterでつぶやいたのがこれ。

今思うとくそくそポエムで恥ずかしいんですけど、大真面目にこれを書き込んだことは覚えています。
ちなみにこれはオーラスの前日です。オーラスに近付くにつれて、ふぉ~ゆ~もファンもファンサに慣れてきていたので、それでもどんな席に入っても干され続けていた自分が悲しかったんですよね。近くの同担がうちわを高く掲げたことでファンサをもらったのを見て「よかったねー」と思う反面「そんなマナー違反の人にもファンサするんだ……」「その人がいるせいで近くのわたしは見えていないのかもしれない……」とか考えていました。あれは今もどうかと思ってるけど。

で、オーラス。強運なお友達のおかげで入ることが出来たオーラスなんですが、友達2人と一緒に入って3連だったんですけど。これが見事にわたし以外の2人がお目当ての人からファンサを貰っていました。か~~~~~~~~っこの光景知ってる! この夏のA.B.C-Zのコンサートであったやつだ!(進研ゼミ)(えびに担当はいないのでこれはまあいいんですけど。この話まで書くと更に長くなるし)

オーラスの終盤ともなれば虚無のわたしとコンサートを楽しみたいわたしが一緒くたになって、「もうファンサとかどうでもいいや!! オーラスが無事に終わればいい!!」と楽しくペンライトを振っていました。なんなら遠くにいる福田くんを見ずに、近くのお立ち台にいる人を見てたりもしました。ファンサマシーンと化した越岡さんと辰巳くんは見てて楽しかったです。

――事件が起きたのはそんな時でした。

お立ち台を見ていた視線をふと上げると、すごく遠いけど2階席から福田くんがめちゃめちゃにこっち……いやもうこの際いいやわたしを見ていました。

見???????????????!!!!!!!!!!!!!!!??????!!!?!?!?!?!

一瞬にして脳内で何かが爆発しました。そして無我夢中で緑のペンライトを振りました。たぶんあの時緑振ってる人でそっちを見ている人いなかったんで、もうあれはわたしのことを見ていたことにさせてください!!!! お願いします!!! 強めのお薬出してもらってもいいんで!!!!!

それを確認したかのように福田くんは近くの人を構い始めたのでした。ちゃんちゃん。

 

 

いや、ちゃんちゃんじゃねーわ。結局6回入って、5回と80%くらいは干され続けて、最後の最後に「見られる」って何? は? 貴様驕ってんのか???? と思ってるわたしと「やだ~~~遅い~~~♡ってしてるわたしがいて、最終的には後者が勝ちました。最終的とか言ったけど審議なんてありません、秒で後者が勝者(工作が交錯*4

わたしなんてね、ちょろいもんです。福田くん覚えててくださいね、あの女はちょろいですよ。

っていうかTwitter見た? まじで見られただけなんだけど、だとしたらわたし=あのアカウントの女って繋がってるわけ? なんで? やめて?????

もし本当に分かってるんだったらENTA!2では干さないでください。何卒よろしくお願いいたします。

舞台、ショー、たぶんカウコン、そして年明けの舞台と絶対に忙しいと思いますが、どうかお体には気を付けてください。いざという時は葛根湯に頼ってくださいね。あとは絶対に寝てください。わたしは祈ることと、福田くんのためにもともと無いお金をちょっとだけ使うしかできませんが、福田くんが健康でいて楽しい毎日が送っていたらそれだけで嬉しいです。

敬具

(強めのお薬が必要な)ファンより

 

 

ファンサなんて【その人が「もらった」と思ったら、それがすべて】だと思っている激チョロ人間の記事なので、すべてのジャニオタがこんなにちょろいわけではありません。
もっとちゃんとしたファンサを求めている人や、わたしが貰ったと思い込んでいるファンサはファンサではないと言う人もいます。それは分かっています。でもこれは2019年の思い出ベストテンに確実に入るので書きました。夢を見たっていいじゃない、相手はアイドルなんだから。

 

*1:コンサートやイベント、舞台のことを指します

*2:1stコンサートが中止になった話には触れてくれるな

*3:フライデー

*4:ザキラップリスペクト

今語りたいSnow Man

辛抱たまらなくなったのでジャニーズのことを記事にします。久しぶりの記事なのに治療の話じゃなくてすみません。

 

今回語りたいのはジャニーズJr.のグループの一つ、Snow Manのことです。
彼らは私にとっては担当はいませんが、ジャニーズJr.の中では一番応援したいグループです。その思いの元を辿ればA.B.C-Zのバックによく付いていたからなんですが、今はちょっと違う思いをもって彼らを見ています。

今、いちばんポエムを詠みたくなるジャニーズ。
それが私にとってのSnow Manです。

この記事を読む人はだいたい事情を知っていると思いますが、Snow Manというグループは2019年になってからまだ半年も経っていませんが、その短い間に激震が走ったグループです。
  • もともと6人グループで6年間やっていたところに、3人増員して9人グループになった。
  • 3人の1人はグループ兼任、1人は関西ジャニーズJr.を抜けてきた、1人はまだ15歳(最年長は今日5月5日で27歳になりました)。
  • 引退した滝沢秀明氏が座長を務めていた「滝沢歌舞伎」を引き継いで、グループとして座長を務めることになった。
  • 9人のお披露目は横浜アリーナでのコンサートという大舞台。
ジャニーズでは人が減ることこそ最近はありましたが、増員はなかなかありません。増員したJr.のグループと言えばTravis Japanですが、それも2~3年前のことと記憶しています。
メンバーが減るニュースばかりを聞いていた身としては、増員はセンセーショナルな出来事でした。それが担当となると思いは複雑だったこととお察しします。私も身近にすの担がいるのでその様子はよく分かります。

とはいえ私には担当はそこにいません。私の担当はぬるっとJr.の肩書を卒業したグループにいます。だから蚊帳の外で「そっか~」くらいにしか思っていなかったのですが。

でも今、Snow Manを見ると私は泣いてしまうのです。

滝沢歌舞伎ZEROは京都南座で1回、新橋演舞場で2回、そして横浜アリーナでのコンサートにも参加しました。これだけ挙げると私もすっかりすの担のようですが、断じて違うのです。滝沢歌舞伎はただ単に好きなのと、ジャニーズのコンサートは無条件に好きなんです……。

そしてこのコンサート以外、つまり滝沢歌舞伎ZEROでは百発百中で泣いています。新橋の2回に至っては冒頭の「ひらりと桜」でもう泣いています。イントロが流れるだけで泣けてきて、9人が並んでいるのを見るだけで涙が流れてきます。

自分でも不思議でしょうがないんですが、冷静になると個人的な泣けるポイントはいくつか考えられます。

Ride on timeが良い番組だったから

これは結構大きいです。これも週を重ねるごとに私の涙の量も増えていきました。
滝沢歌舞伎は新体制で行うとはいえ、最年少の15歳は加入当時まだ中学生で、京都南座公演は遠征になるため不参加。8人体制のSnow Manを密着した番組を4週に渡って放送していました。
とくにもともと関西ジャニーズJr.として活動していた向井康二くんの葛藤は胸に迫るものがありました。
稽古環境もやり方も違う、パフォーマンスの方向性や求められる質も今までと違う。しかも周囲は既に何年も滝沢歌舞伎に参加している。そんなアウェイの環境でよくやり切ったなと思います。
彼の人柄も大いにあるのだと思いますが、周囲のサポートも良かったのだと思います。

最年少が15歳だから

最年少のラウールくんは加入当時中学3年生、今は進級して高校1年生。見た目はそんな風には見えないほど大人びています。たまに見せる表情が子供っぽくて可愛いんですけどね……(BBAの戯言です)。
その状況がA.B.C-Zに重なるのです。
センターの橋本良亮くんは15歳の時に、5~7歳離れた4人グループだったA.B.Cに加入、同時にグループ名もA.B.C-Zに変更となったのです。年齢差はラウールくんのほうが大きいですが、一人だけ年下で、しかもセンターを任せられている部分はどうしても橋本くんと重なります。
とはいえ私は橋本くんが加入した時のことは知りません。でも後から本人が話している内容などを聞くと、結構しんどいこともあったようなので、勝手にラウールくんのことを心配してしまいます。
でも、たぶん心配しなくて大丈夫なんだろうな、とは思いますけどね。お兄さんたちがあちこちフォローしているようなので。何より本人が楽しそうなのが嬉しい。

Snow Manが好きだから

まあこれですよね。オリジナル曲も好きだし(今もジャニーズJr.チャンネルにアップされてる「Party! Party! Party!」を聞きながら記事を書いています)、ダンスだってかっこいい。皆ジャニーズとしての歴が長いから安定感もある。見ていて落ち着くんですよね。
私の担当への思いが重すぎるあまり担降りは考えられないのですが、状況によっては担降りもあっただろうなと思います。誰に……? たぶん深澤くん(お誕生日おめでとうございます)かな……?

 

わたしは好きな人が肯定しているものを、なるべく否定したくありません。彼らが9人でやっていくと決めたなら、その背中を押してあげたいのです。
もちろんこれは個人の意見ですし、何より私は他担です。ここまで書いておきながらアレなんですが、大きな顔なんて出来ませんし、するつもりもありません。

だけど9人を見るだけで不思議と泣いている他担もいます。

頑張ってほしい、けどそんな言葉が陳腐になるくらい彼らは既に頑張っているのだと思います。
幕開け冒頭、9人で登場した瞬間の決意の表情が、胸に迫るのです。舞う桜の中で踊る9人の姿が愛しいのです。
彼らはまだ若いいのちを削って、その尊いいのちをステージの上でキラッキラに煌めかせている。その輝きが、まぶしいのです。
何かに追いつこうとするみたいに、必死な表情で踊っている、歌っている、演じている。その姿を見て応援せずにはいられなくなるのです。

 

 

……だから何、と言われたらそれまでなのですが、新橋演舞場に見に行ってからどうしても文章としてこの思いを残しておきたかったので記事としました。他担が出しゃばってすみません。言い回しなど間違いがありましたら申し訳ございません。

これからも草葉の陰からそっとSnow Manのことを応援しています。

 

最後に今再生している動画を貼っておきます。羨ましくなるくらいかっこいいオリ曲だよね、PPPって。


Snow Man【ダンス動画】Party! Party! Party! (dance ver.)

子宮内膜症の話 2

あんまりにもお腹が痛いので会社を早退して病院に行ったら、思いがけず「チョコレート嚢胞」などと聞いて盛大にビビった喪女の話の続きです。

近所のかかりつけ医に紹介書を書いてもらい、これまた近所の総合病院の婦人科の門をたたきました。発症からここまでは約2~3週間というところでしょうか。かかりつけ医は男性なので大開脚済ですが、先生は気を遣ったのか女医さんを紹介してくれました。

しかしやはり婦人科の女医さんは大人気です。待てど暮らせど順番が来ない。時間予約をして受診していないので当然ではありますが、分かってはいても「まだかな……」と天井を見つめていると看護師さんに声をかけられました。

「男性の先生ならすぐ案内できるけどどう? 一応部長の先生だから……」

待ちくたびれていたわたしは、その声に被せるように「お願いします」と言っていました。もうね、近所の先生に大股広げてるんでね、全然気にしません。というかこの年齢なのでもはや気にしてないです……いやまあ喪女なんですけど……

そして、いざ診察室へ入室。緊張しながら開けた扉の向こうにいたのは、優しそうな顔立ちの眼鏡の男性でした。見た目から癒し系オーラというか、安心感がめちゃくちゃあったのでそれだけでほっとしました。結果的にはこのK先生がそのまま主治医になって、執刀医になりました。

初診なので再び婦人科のあの椅子に座ります。御簾の向こうならぬ、カーテンの向こうの人となったわけですが、この間はただ足を開いただけのこの椅子も、今回は一味違います。診察前のアンケートで性交渉の欄では迷いなく「未」に〇を付けていたので、先生も無理な道を通ろうとはしません。こういう人は肛門から検査をするのです。

正直、めttttttっちゃ痛いです。そこは出口であって入口ではありません、違和感が物凄い。わたしは喪女の職を全うしながら腐女子も兼任しているのですが、今までハマってきた各種CPの受けに「ごめんね……ごめんね……」と心の中で謝りながら診察されていました。いや、受けは攻めの愛があるしな……K先生とわたしの間には何もないしってそんなことはどうでもいい、いってぇ!

近所の病院とは違って専門の科なので椅子の横にモニターが付いています。つまり自分の胎内がリアルタイムで見れてしまうのです。真っ黒の中に白い何か……何かがあるような……? と思うも、違和感と痛みがすごいので目が回りそうでした。今思うとあの時見えたものは、近所の病院のエコーで見た時と似たような感じでしたね。

そして椅子を降りてK先生と再びご対面したのですが、PCの横の大きい画面にさっきのモニターのやつが映ってるんです。さすが大きい病院だなぁ、アッさっきは汚いもの見せてすみません……と思いつつ先生に向き直ります。もちろん先生も慣れっこだとは思いますが。

K先生「左はチョコレート嚢胞だね。右はたぶん水が溜まってるんだと思う」

わたし「水」

K先生「右は時間が経ったら抜けていくこともあるけど、左は手術をするか、薬を飲みながら様子を見ていくかだね」

わたし「はあ……」

K先生「とりあえずMRIを撮りましょう。予約を入れて今日は終わりにしようか」

※もちろんこの間、K先生は丁寧な説明をしてくれています。図解説明もしてくれたので、後から家族に説明しやすかったです。

そしてMRIの予約と、その結果が出ているであろう日に診察の予約も入れて、K先生との初診は終了しました。体感ですが15~20分くらいだったと思います。

たまに強く痛み、常に膨らんでいる腹。ストレスが溜まると一日3食以上の食事を摂ってしまうので、そのせいで太ったのかなぁと思っていた自分の腹に病名が付いたことが、妙に安心できました。とはいえ肥満体型なので常に腹は出ているんですが、これはデブってだけじゃないんだなぁと思えるだけ良かったです。

総合病院の初診編がこれにて終了のため、次回は「MRIを受ける時、がんがんトンネル魔人に会ってくるね! って友達に言ったのは、わたしがチームバチスタシリーズにドハマリしたからですスペシャル!」やります。

 

子宮内膜症の話 1

2018年5月中旬の、ある日の朝6時頃。わたしは腹痛に目覚めました。おへその下あたりを、横にまっすぐ走るような鋭い痛みです。一瞬で目が覚め、意味も分からないままトイレに行ったりするも、痛みは治まりません。「なんでこんなに痛いの……」と思いつつ、出社準備をしていたの、今思うと本当に偉いなって思います。

この時は、まあ放っておけば治まるでしょ、と思っていました。数年間に急性腸炎にかかった際も似たような痛みだったのと、それ以来腸のあたりが痛むのは癖になっていたから、それも同じだろうと思っていたのです。ストレスを感じると痛むんです。言わずもがな会社でストレスを受ける毎日を送っていたので。

しかし電車に乗っても、会社に着いて仕事を始めても、電話を取っても、痛いのは変わらない。わたしが勤めている会社はチームワークを重んじているくせに、いざという時は完全に個人主義になるような、簡単に言うと思いやりのない会社なので誰も心配をしてくれない。なので自らめちゃくちゃ「痛いマジで無理もう帰る」とアピールして、上司にも了解を得たところで午後半休を取って帰りました。

自宅と会社は距離(神奈川⇔東京23区の東側)があるのですが、自宅の近くのかかりつけ医に見てもらいたかったので、どうにかこうにか帰りました。何かあった時に会社の近くに通院とか嫌だし、何より近所の先生にずっと見てもらっているので安心感があるからです。

病院に着く頃には、朝起きた頃の痛みはありませんでした(今思うと目覚めの一発が一番痛かった)が、しかし痛いことには変わりありません。うぅ……と猫背になりながら診察を待っていると、やっと順番が回ってきました。この時すでに午後14時を回っていたと思います。

診察室の椅子に座って「おなかが痛い」「おへその下あたり」と言った時には、早くいつもの腹痛用の薬をくれ……という気持ちでいっぱいだったのですが、先生は予想外にも「あっちのベッドで横になって」と言うのです。完全に頭の中は「???」です。いつもだったらそんなことは言わないじゃない、なんで、どうして、そう思いつつ横になったら「エコーするよ」とか言うんです。

エコー!? あの、お母さんが昔受けてたやつ!? お腹の中丸見えのアレ!?

予想外のことにすごく驚きましたが、痛いのを早くどうにかしてほしいので大人しく受けました。ジェルくすぐったいな、ああデブなんだよなぁ、あっそこは痛いですぅ……と半泣きの状態で先生が機械を動かしているのを見ていると、先生はぽつりと言うのです。

「これ、子宮内膜症っぽいね」

「左はチョコレート嚢胞(のうほう)かな」

「こっち(右側)も腫れてる」

自分のお腹の中が映っている画面を先生は指さすのですが、正直言うとよく分かりません。だってリアルな下腹部なんて知らないもの。保健体育のイラストでしか知らないんだから、見たってよく分かりません。けど、なんか「白い何か」があることは、分かる。

あれがチョコレート嚢胞? っていうか子宮内膜症? なんだそりゃ??

恥ずかしながらそういった婦人科系の病気って無縁だと思っていたので、どの単語も何も分かりませんでした。説明を聞いても「ハァ……」って感じ。だから診察室出たら即行で自分でもググりました。チョコレート嚢胞は子宮内膜症の一つで、そもそも子宮内膜症はうんぬんかんぬん……。それでも現実のものとしては受け止めきれませんでしたが、でもお腹は痛いからそっかぁこれがねぇ……とじわじわ理解していきました。

余談ですが、その後触診に移ったのですが、わたしは未貫通の喪女なので当然何かが入るわけもありません。先生も途中で諦めたので、わたしは婦人科のあの椅子に座り、ただ股を開いただけでありました……。

そして痛み止めの薬を出してもらったのと、近くの総合病院の婦人科の紹介状を書いてもらいました。ちょっとこの辺りは記憶があいまいなので、その後に受診した時だったかもしれません。とにかく最初に痛みがあった日から、痛みの大小はあれどずっと痛いので、早くどうにかしてほしかった。総合病院でも個人病院でもどこでもいいので早く治して! の気持ちが強かったです。

まずは近くの病院編をここで終わります。次は「なんだかんだこの地域の人って、ここの総合病院行くよね。わたしも眼科とか内科とか色々お世話になったことあるよスペシャル」*1やります。

 

*1:自担がジャニーズウェブでの連載で昔よく使っていた言い回しを真似しました

2019年を後悔しないために

日記というには間隔が空くと思いますが、ひとまずタイトルとして「DIARY」と名付けました。そしてこの記事のタイトルは「2019年を後悔しないために」。これはまさしくそのままです。後悔しないために、というか、後悔を少なくするために、が近いですがこういう時の言葉は強くしておきたいのでこうしました。

わたしは今がちょうど30歳で、次の4月で31歳になります。30歳の年にわりと大きな出来事があったので、それを書き残しておきたくもあり、そして1年を振り返れるようにこんな場を作りました。Twitterをやっているので、そこから読んでいただく方が多いと思いますが、もしブログから私を知ったという方がいれば、Twitterを見ていただければわたしという人間が多少なりとも分かると思います。簡単に言うと喪女のジャニオタです。

天津飯 (@104n_han) | Twitter

 

現状わかっている30歳で起こった大きな出来事は

  • 病気をしたこと
  • 仕事を辞めること

この2点です。仕事を辞めるのはこれからで、今ちょうど引継ぎを行っているところです。そのことを記事にするのは完全に籍が抜けてからにしようと思っているので、次回はまず病気のことを書き記そうと思います。

先にお伝えしますが、わたしがかかったのは子宮内膜症です。今も定期的な通院をしていますが、おそらく再発はしていませんし、症状としては軽い方だったのかもしれません。ですが入院をして手術をしましたので、やはり自分にとっては一大事でした。記憶は強く残っていますが、後から振り返れるように文字としても残したいので、この方法を選びました。

ジャニオタなので我慢できなくなってそういう話をし始めるかもしれませんし、唐突に病んでポエムを詠むことがあるかもしれません。そういうことだってわたしが過ごした一日のひとつなので、できるだけ恥ずかしがらずに出していけたらなぁと思います。もちろん今以上に黒歴史を生産するのは嫌なので、できるだけ、極力、最小限にしておきたいところですが……